ーつまらない距離感ー


矢印の向く方に。

#1

2008年12月27日。

歌舞伎研究会の大きな舞台がおわった。

息つく間もなく、新体制で4月の新入生歓迎に向けての稽古がはじまる。

新しい会長には自分がなると決まっていた。


その前にやっておきたいことがあった。


2月1日。

映画に誘った。

映画科の自分が、映画好きな油絵科の先輩を映画に誘うことは

デートとは思われていないみたいだった。


それでもいい。

今日の目的は、「すっぱり振られること」。

浮ついた気持ちで新しい稽古に入りたくなかった。


「あぁ…」

そのトーンはいつも通りだったけど、

「いいよ」

そのあとに続いた言葉は予想外だった。


#2

付き合うことにはなったものの、

ふたりの関係は小道具係と小道具係補佐から会計と会長になっただけで、

その距離は変わらなかった。


すぐに別れるだろう。

周りも自分もそう思っていた。


家に誘っても来てくれない。

電話したいと言っても断られる。

たまに仕事のようなメールを交わす。


それでも待つのは辛くなかった。

恋愛対象に見られていないとわかっていたし、

しばらく待てば「この日のこの時間なら電話できる」と返してくれる。

ただし、会話が途切れるとすぐに切ろうとするのは今も変わらない。

そういうのは、間を楽しむものなのに。


#3

歌舞伎のくさい表現が好きだ。

他の舞台を見ても物足りない。すべて薄味だと感じてしまう。

今でもふたりで舞台を見にいくと

やっぱり歌舞伎が一番だね、となる。


大学卒業後、サラリーマンをしながら三味線弾きを目指した。

30までに子どもを産みたいという彼女を待たせたくはなかったけれど

中途半端なままではプロポーズできないと思った。


「うまくいかなければまた会社員に戻ればいいんだから」

彼女は僕が会社員でも三味線弾きでもいいらしかった。


そういえば、“小さいのにしっかりしたいい先輩”が女性として気になりだしたのも

「この芝居ができたのは君がいてくれたからだよ」

と、舞台後にかけてくれた一言からだった気がする。


距離感は相変わらずだったけれど、

自分を見てくれていることが嬉しかった。


#4

2014年2月1日。

初めての彼女は妻になった。


褒め言葉は雨のように、

毎日通りすがりに愛していると伝えているのに、

一言も刺さっている気配がない。


自然の多いところでの新生活がはじまったら、

もう少し振り向いてくれるかな。

車も買っていろいろなところに行こう。

ふたりで妄想を現実にしていく。

わくわくする生活がイメージできている。


この10年、ふたりの距離感は大して変わっていない。

それを不満に思ったことはない。


遠くても近くてもいい。

そばにいてくれればいい。


そんなに扉を叩かなくても。

#1

「そろそろ手はつながないの?」

新宿で告白されてから1ヶ月くらいたって、

赤坂でデートをしたときに聞いてみた。


「恥ずかしいから腕組みがいい」

せっかく少し近づこうとしたのに、

変なところでかっこつけてくる。


「先輩呼びはやめよう」

夕食を食べながらのこの提案は受け入れられて、

やっと名前で呼び合うようになった。


#2

恋愛にそもそも興味がなかった。

将来は島に行ってひとりで暮らすものかと思っていた。


「だまされたと思って付き合ってみなよ。」

親友の助言にしたがって、とりあえず「いいよ」と言ってみた。

年下だったからよかったのかもしれない。

男性、というより、部活のかわいい後輩だったから。


嫌なら別れればいい。

続くとは思っていなかったから、

無理に近づかないようにしていた。


そんなふうに自分が置いた距離を

むりやり詰めてこようとはしなかったから

今でもこの関係を保てている。


#3

結婚しようか。


彼の家でカレーを食べてゴロゴロしていたら

もう寝ようか、

みたいな音符で言われた。


どうしてこのタイミングなのか、

「はぁ」としか返せなかった。

こうして、初めての彼氏は夫になった。


プロになるまではそんなこと言える立場じゃない、と

時を見計らっていたようだったけれど、

楽しく何かを一生懸命やってくれていれば、私はなんでもかまわない。


それよりも、

もう少しプロポーズのタイミングを見計らってくれたら。

せめてホテルとかだったらなぁ。

彼は必死に過去の事実を変えようとしているけど、

残念すぎて結婚式のクイズにもしちゃったからね。


#4

部活での会計係は私だったけれど

我が家の会計係は彼だ。


毎月レシートを提出すると、

家賃も光熱費も食費も1円単位までふたりの負担額が同じになるようきっちり計算される。

信じられないレベルの明瞭会計。


洗濯物をたたんだり、

細かい担当を買って出てくれるのは助かる。


ただし家にいるときはちょっとしつこい。

「仕事中。扉叩くな」

と張り紙をしても、コンコンとしてくる。

人懐っこさと甘え上手は変わってない。


ちょうど良い具合に年の1/3は公演で旅立ってくれるので

その間に私は絵を描いたりする。


強弱をつける作業は、絵の描写と歌舞伎の台詞回しで似ている部分がある。

ただし歌舞伎では感情を何倍にもして表に出す。

絵を描く時とはまた違う表現だ。

体全体で現すというのが楽しかった。


残念ながら歌舞伎研究会は時代の流れに抗えず2年前に廃部になってしまった。

でも、教師をしている学校で子どもたちに教えられるし、

裏方としてOBの公演会も手伝う。


私が母役で彼が娘役なんて配役も学生のときはあったけれど

彼の舞台を見るのは母の気分かもしれない。

無事に幕がひかれるとほっとする。


新しい家ではDIYを楽しもう。

本当はお隣さんくらいの距離感でもいいのだけれど。

無理にスペースをとっているわけではない。

お互いに好きなことをしながらも話し会える相棒がいるのはいい。


朝が弱い彼のために、私は朝ごはんをつくる。

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age(30), gender identity(Male)

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